明治三十九年(一九〇六)十二月十二日奈良で生まれた。 本名・勝(まさる)。大正八年に偕行社小学校尋常科を卒業し日新商業へ進む。十五年関西大学予科に入学。昭和四年法文学部法律学科に進学した。在学中から柔道、古武道、空手等の練習に励み、本学を卒業した七年秋には大日本拳法会を結成して会長となる。十五年二月応召により出征し、中国南部を転戦した。二十一年五月復員。二十二年頃から日本拳法会の再建整備にとりかかり、二十八年に初の東京公開演武を行う。二十九年本学の正課体育に採用された日本拳法の講師となる。これを機会に宗家を号する。三十九年十二月著書『日本拳法』を出版。四十二年から大阪薫英女子短大教授をつとめる。五十年九月病に倒れ、以後療養につとめたが、昭和五十二年(一九七七)九月二十七日没した。享年七十歳。 (関西大学拳法部 70年史より)
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